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平成16年12月
◆ 「身替座禅」 奥方玉の井
久しぶりになります。勘九郎さんとは以前にもやはり歌舞伎座で勤めました。今月が彼の勘九郎としての最後の舞台ですから、そこで夫婦の役として共演するということもなにかの縁だと思います。ただの恐妻ではない、夫を愛する故のどこか憎めない可愛いさ、というものが出せれば、と思っています。お互いのおじいさん、ひいおじいさんが初演した狂言ですから、品格を保ちながらも、楽しい、素敵な舞台にしたいと思います。
◆ 「たぬき」 柏屋金兵衛
昭和28年、故大仏次郎先生が松緑のおじさんのために書かれた戯曲ですが、皮肉な内容の中にも、そこはかとないユーモアとペーソスがあり、ある程度の年齢に達したら演じてみたいと思っていた芝居でした。今回、太鼓持蝶作に勘九郎さん、妾お染に福助さん、御家人三五郎に橋之助さん、老妓お駒に東蔵さんと、実に適材適所の好配役を得て、初めて挑戦することになりました。人間の裏と表の面白さ、恐さ、空しさが、独特の香気と共にお伝えできれば、と思っています。
◆ 「今昔桃太郎」 薬売り
富山の薬売り実は鬼の統領で出演いたします。初舞台で演じた「桃太郎」を勘九郎の最後に、という彼の希望に叶えるよう、作の渡辺えり子さん、振付の勘十郎さんとも相談しながら、立派に華を添えることができれば、と思っています。
平成16年11月
◆ 「吹雪峠」 直吉
吹雪峠は平成3年に歌舞伎座でやって以来ひさびさになります。吹雪の峠に閉じ込められた男女3人の心理描写が細かく描き込まれた、短いながら面白い芝居ですし、芝雀さん高麗蔵くんと配役のバランスも良いので、演出の福田さんとも相談しながら、密度の濃い舞台を作り上げたいと思っています。沖縄で吹雪というのも楽しみです。
◆ 「勧進帳」 富樫左衛門
がらりと雰囲気をかえて古典の勧進帳。五月に弁慶を代役したのは記憶に新しいところですが、富樫は、10年前の青山学院の創立120周年記念公演、今年3月の小松芸術劇場「うらら」柿落とし公演と、短期間の公演では体験しているものの、ひと月の本公演で演じるのは初めてになります。そして高麗屋さんともはじめてです。
弁慶、義経と経験して、一番初めに手がけるだろうと思っていた富樫の役が最後にめぐって来るのですから、人生まったく面白いものです。
平成16年9月
◆ 「茶壷」 熊鷹太郎
いうまでもなく七代目三津五郎が初演した家の芸です。これまでにも何度か演じてきましたが、去年京都造形大学の公演で、狂言の茂山千之丞さんと競演させていただいたことが勉強にもなり、またある種の自信にもなりましたので、狂言舞踊らしいおおらかさ、すっぱの人物造形、「宇治は茶どころ」の踊りの楽しさなどを、的確に、そして空間のひろがりを持ってお伝えできるよう練り上げるつもりです。
◆ 「一本刀土俵入」  船印彫師辰三郎
一昨年に続いて二度目です。出番は少ないのですが非常に難しい役です。いい加減さと家族思いの真実味との按配、素人っぽさとイカサマ博打を打つ崩れた味との按配など、なんでもないようで難しく不思議な役です。また長谷川先生のこの辰三郎のセリフが、なんとも言いにくい覚えにくいセリフで、量は少ないのですが苦労をいたします。また取手の宿の話ですから、江戸前になり過ぎないようにすることも肝要であると思っています。
◆ 「蔦紅葉宇都谷峠」 伊丹屋十兵衛
初役です。この芝居に出るのも初めてです。昭和44年国立劇場で、東宝移籍以来8年ぶりに共演なさる幸四郎のおじさんと勘三郎のおじさんとの舞台が大変話題になり、母と切符を買って拝見に行ったことを思い出します。そのときこの芝居を初めて観たのですが、じつに面白いお芝居だと強い印象を抱いたことを覚えています。
同い年の勘九郎さんの文弥と並んだときにずっと大人に見えなければいけませんし、それにこの十兵衛という役は、幕が開いてから閉まるまでずっと苦悩し続ける役なので、そのあたりストレスが溜まるかもしれません。
じっくりと発酵していくような大人の味が要求される役ですので、私にとっての新境地になるかもしれません。
平成16年8月
◆ 「蜘蛛の拍子舞」 源頼光
古風な踊りの、古風な役です。おっとりとした殿様の風情と色気。そうしたことを、あまり動くことなく、濃厚な味わいで、古風な狂言らしい、おおどかな歌舞伎らしさをお楽しみいただかねばなりません。難役です。
◆ 「蘭平物狂」 奴蘭平 実は 伴義雄
昭和62年、父の9代目三津五郎襲名披露の時が初役で、父に教わり松緑のおじさんに仕上げを見ていただいた想い出の役です。そのとき31歳、歌舞伎座で初めて主演した舞台でした。松緑のおじさんからは、「蘭平というと人はすぐ大立ち回りを思い浮か べるが、蘭平役者としては題名の通り、前半の物狂いの踊りのところでお客を魅了しなくちゃいけないよ。それから、強いところからふっと軽く変わる変わり目を、もっと力を抜いてやらなくちゃ駄目だ」と教えていただきました。あれから17年・・・・。平成7年の息子巳之助の初舞台のときに勤めてからも、9年が経ちました。
その舞台を観て、まだ研修中だった八大と大和が、うちへの入門を決めてくれたそうです。その八大と大和と、念願の師弟初共演の蘭平です。皆が盛り立ててくれる立ち回りはもちろんのこと、教えていただいたことを思い起こしながら、義太夫狂言らしい厚みと、奴の色気と男らしさを大切に、充実した舞台にしたいと思っております。
◆ 「東海道四谷怪談」 直助権兵衛
4年前のときと同じ演出、ほぼ同じ配役での再演です。納涼歌舞伎としてはやや安易な狂言設定かな?とも思います。 時間的な制約があるのでしかたありませんが、直助役者としては今回はぜひ「三角屋敷」を上演して欲しかったです。
そうでないと直助は中途半端な尻切れトンボな役で、お客様も直助とお袖が実は兄妹だったということを知らずにお帰りになる訳で、四谷怪談のドラマとしては一番充実した「三角屋敷」を上演できないのはなんとも残念です。
とはいえ初演は五代目幸四郎。若い團十郎の伊右衛門を相手に、悪の魅力の兄貴分として、存分に腕をふるった役です。楽しみながら、闇にうごめき不気味に輝いている男の魅力を出せれば、と思っております。
平成16年5月
◆ 「暫」 鹿島入道震斎
去年の五月、團十郎さんが天皇陛下の前で勤められた時には、女鯰の方を演じておりました。
一年経って息子さんの襲名では、男鯰の方を勤めさせていただきます。
襲名披露のまず初めの演目、雀右衛門、芝翫、富十郎、といった豪華な顔ぶれとご一緒ですので、位負けしないよう立派に勤めて、新海老蔵さんの前途を祝したいと思っております。
◆ 「魚屋宗五郎」 魚屋宗五郎
久しぶりの上演になります。
子供の時から、松緑の宗五郎、梅幸のおはま、芝翫のおなぎ、父の三吉という、定番極め付きの舞台を拝見して、いつも憧れておりました。酒屋の小僧にも出たことがあります。その出のきっかけのセリフ、「酒ものどにゃぁ、通りゃぁしねえや」という父太兵衛役の亡き鯉三郎さんの声音は、今も耳に残っております。
  その憧れの舞台に昭和61年、松緑おじさんの最後の宗五郎のとき、長年父が勤めていた三吉の役で出していただけたことは、大変嬉しくありがたいことでした。手順の細かく決まった芝居ですので、先輩たちのなかに入り、流れが崩れないよう極度の緊張をした思い出があります。

極め付きのおじさんの宗五郎のそばで三吉を勤めるのでさえ大変なことですのに、その興行の千穐楽の翌日、浅草の九代目團十郎の「暫」の銅像再建のための勧進興行が一日あり、その興行で「お前が宗五郎をやれ!」。とおじさんからありがたいご指名を受け、宗五郎のことも見て覚えなくてはいけなくなったのですが、そうすると用事の多い本役の三吉がおろそかになってしまうので、初日から一週間は三吉に専念し、そのあとじっくりとおじさんの宗五郎を学ばせていただきました。当時、この魚屋宗五郎は松緑のおじさん、辰之助さんの親子しか演じていなかった役ですのに、ご使命を受けやらせていただけたのは大変幸せなことでしたが、その頃辰之助の兄さんはすでに具合が悪く、おじさんは大事な宗五郎を、なんとか私ごときにもお伝えになりたかったのだと思います。

そのあと国立劇場で本役で勤めたとき、千穐楽にお礼のご挨拶にうかがいましたら、「今度は髪結新三だな、お前が新三をやって孫の嵐が勝奴をやるまでは、俺は死ねないよ」。とおっしゃたのが遺言のようになってしまいました。
後年国立劇場で「髪結新三」を演じ、嵐君に勝奴を勤めてもらったときは、なんとかお約束を果たせたような気がいたしました。

今回はその嵐君、四代目松緑さんが初役で三吉を勤めます。天国の松緑のおじさん、梅幸のおじさん、そして父、この魚屋宗五郎を大切にしてきた方々の名に恥じないような、立派な舞台にしたいと思っております。
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