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平成19年12月
◆「鎌倉三代記」 佐々木高綱
初役です。以前国立劇場で、橋之助さんの高綱、私の三浦之助で勤めたのと真逆の配役になりました。今回はいつもの型でなく、祖父八代目が昭和31年に勤めて以来51年ぶりとなる芝翫型を復活いたします。現在行われているのは俗に「多見蔵型」と呼ばれ、幕末から明治にかけて活躍した多見蔵の型が市川中車から初代吉右衛門に伝えられ、それが主流になったといわれます。今回の芝翫型は、四代目芝翫が最後に勤めて以来絶滅した型だから「芝翫型」と呼ばれるものの、その以前の江戸歌舞伎界では当たり前であった型といわれています。実際残された錦絵を見ますと、どれも菱皮のカツラに仁王襷という扮装で、昔はこちらの方が主流であったことがわかります。
多見蔵型がぶっかえりをしたり、しかもセリフにも技巧的な様々な工夫を加え、こちらの方が客受けがいいことからか、いつの頃からかこちらが主流になり、芝翫型が異端視されるに至ったと思われます。曾祖父が大正時代に演じた時でさえ異端視された資料が残っておりますから、かなりのスピードで「多見蔵型」が浸透していった過程がうかがわれます。ですから、あえて損なやり方であることを承知の上ですが、この機会を逃しては絶滅してしまうかもしれない型を復活するのも私に与えられた使命かと思い、上演の決意をいたしました。祖父も書き残しておりますが、多見蔵型のようにぶっかえりがあったり、セリフをウネウネ言う技巧的な部分があったりする訳ではなく、時代物の主役としてど〜んとした直球の重みをもって見せていかなければいけませんので、役者としてはその地芸がものをいってしまう難しさがあります。歌舞伎界に一石を投じる価値のある上演となれますよう、努力してみたいと存じております。
◆「粟餅」
まったくの初役です。舞踊会では頻繁に上演される人気曲ですが、歌舞伎では昭和51年以来31年ぶりとなります。曾祖父7代目は演じておりますが、父も演じておらず、我が家としてもひさびさの上演となるので記録のある映像は何もありませんでした。改めて稽古をしてみると、短い中にも変化に富んだ楽しい曲であり、踊っていて楽しくすっかり大好きになりました。これを機会に「なんだこんな楽しい踊りがあったのか」と皆様に思っていただけるよう、橋之助さんと気を合わせ、「寺子屋」と「ふるあめりか」の間の一服の清涼剤となれますように、明るくも味わい深く勤めたいと思います。
◆「ふるあめりかに袖はぬらさじ」  思誠塾 岡田
岡田とあるだけで、ファーストネームさえ記されていない役ですが、文学座の初演では三津田健さんが勤めておられたのですから、舞台の最後を締める重要な役であるといえます。廓という非常に狭い世界を扱っているにもかかわらず、そこから当時のおかれていた日本の立場、世論の情勢、さらにはそれによって流されていく人々の運命など、時代の流れの残酷さを浮き彫りにしていく名作です。ただ、この思誠塾の面々の部分は、いくら台本を深読みしても分かりにくい部分も多く、つかみきれないもどかしさも感じます。「ふるあめりかに袖をぬらさじ」という歌を作った「思誠塾主宰 大橋訥庵」という、姿を見せない重要人物の実像を、どれだけ観客の皆様に伝えられるか、それが勝負だと思っております。とにかく、「いい芝居だった・・」と皆様方が心地よく帰宅の途につかれるためには大事な役、最後を締めるその責任を痛感しております。
平成19年11月
◆ 高安 俊徳丸
偽りの恋であったのか、本物の恋であったのか・・・。それは玉手御前を演じられる役者さんによっての解釈ですが、いずれにしてもその恋に値する魅力ある存在でなければいけないことに変わりはありません。技巧よりも、まずその存在自体が光っていなければならず、超美男子ではない私にとっては難しい役です。歌舞伎の中にはこうした役がたまたまあります。義経などもそうですが、技巧が目立ち過ぎると役が老けてしまう。何もしていないように見えて魅力的に見えなければいけないという、無技巧のうちの技巧が要求される難役です。この芝居に出ることも初めてですが、この機会に多くのことを学び取り、さらに自分の引き出しを増やしたいと意欲を燃やしております。
平成19年10月
◆「封印切」  八右衛門
まったくの初役です。この芝居に出たこともありません。「近松心中物語」では忠兵衛を500回以上勤めましたが、歌舞伎の方ではブラジル公演で「新口村」の忠兵衛を勤めて以来です。お家の芸である坂田藤十郎兄さんの忠兵衛を相手に大阪弁でポカスカやりあい、また、次第に忠兵衛を煽っていかなければいけないので大変です。しかもセリフも、はっきりとした決まりごとがある訳ではなく、アドリブの要素が強いのでなおさらです。しかし努力して乗り切れば、またひとつ自分の可能性、武器が増えることになるわけで、せっかくのチャンス無駄にせぬよう勉強いたします。
◆「怪談牡丹灯篭」  三遊亭円朝  馬子久蔵
18年前の平成元年6月に当時の孝夫兄さん、玉三郎さんでこの芝居が上演されたとき、私は宮野辺源次郎を勤めておりました。その月の25日に尾上松緑のおじさんがお亡くなりになられたので、はっきりと覚えております。その後この「牡丹灯篭」は、私が伴蔵を4度勤め、すっかり持ち役とさせていただき、円朝、馬子は中村屋さんの持ち役でした。ですからご覧になる皆様の印象も中村屋さんのイメージが強いと思いますので、いかに私なりの円朝、馬子に仕立て直すかが勝負だと思います。また、高座で話を語るなどという経験は初めてのことなので、楽しみながら勉強し、また円朝らしいマクラはどのようにしようかと、思案を重ねているところです。
◆「奴道成寺」  狂言師左近
4度目になります。平成9年に初めて踊ったとき、初めて本当の意味での踊る楽しさを味わった、思い出深い曲です。 その後三津五郎襲名披露で再演、こんぴら歌舞伎でもやらせていただきました。いうまでもなく、娘道成寺のパロディーとして男が演じるのがミソですが、初めの金冠をかぶった扮装は能をそのまま取り入れておりますので、ぐんと荘重さが深くなければいけませんし、それが一転狂言師の明るく庶民的な踊りに変わるという変わり目、。恋の手習いの、三つのお面を使い分けながら恋の様子を踊り分けていく技術、山尽くしの、花四天を使った所作立の華やかさなど、娘道成寺とは違った、「奴道成寺」ならではの楽しさをお客様に存分に味わっていただけますように、心して勤めたいと思っております。
平成19年8月
◆「越前一乗谷」 郎党
朝倉義景と愛妾小少将の悲運な最期を描いた水上勉先生の舞踊劇です。越前一乗谷の朝倉屋形跡の遺跡は私の好きなスポットで、これまでに何回も訪れています。永平寺ともほど近く、今となっては何もない谷あいの遺跡なのですが、その何もなさが、かえって栄華を極めた朝倉の時代を浮かび上がらせるようで、興味の尽きない場所です。中世から戦国にかけての庶民の暮らしぶりを伝える建物も復元されており、ぜひ一度お尋ねになることをお勧めします。
◆「ゆうれい貸家」 桶職人 弥六
「道元の月」を演出された福田逸さんから、「面白い周五郎作品がありますよ」と紹介されたのが始まりで、その後、昭和34年に菊五郎劇団で上演されたことがあることを知り、台本を取り寄せたところなかなか面白く、上演の機会をうかがっていた作品です。たまたま5月に上演した「泥棒と若殿」と同じ、山本周五郎作、矢田弥八脚色による作品となりましたが、こちらの方が早く眼を付けていた作品です。辰巳芸者の染次が福助さんにぴったりのこと、また幽霊の人材派遣をするという奇想天外な設定が、派遣ばやりの昨今の時世と重なり面白いのではないかと思ったのが、上演を決意した大きな要因です。作品上のキーポイントとなる又蔵に、中村屋さんが出てくださることもあり、きっとお楽しみいただける芝居になると思います。
◆「新版 舌切雀」 小人(元は殿様)与太郎
渡辺えり子さんのワールドがいっぱいに詰まった意欲的な新作です。内容は見てのお楽しみ・・・・。私の役は、日常では与太郎、森の世界では皆の心の声を聞き分けることのできる賢者の小人、そしてその小人は以前はお殿様だったという・・・、1人のなかに3人格を持つという不思議な役です。どのような扮装、装置になるのか今のところ判りませんが、いろいろな工夫を凝らして、えり子さんのワールドが舞台いっぱいに広がるよう、楽しみながら役作りをしたいと思っています。
◆「裏表先代萩」 倉橋弥十郎 細川勝元
今月は全部初役です。倉橋は普通の「先代萩」であれば仁木弾正をやり込める細川勝元の役ですが、裏表の場合は小助という庶民的な悪党を捌く勝元の家来という設定で、江戸時代の町奉行のような役の設定です。ですから扮装も顔の色も、世話物に出てくる武家、「魚屋宗五郎」の浦戸十右衛門や「河内山」の高木小左衛門のような拵えです。そしてその後の「刃傷」では、いつもの先代萩の細川勝元で登場するのですから、その世話と時代の変わり目が肝要だと思っています。本来同じ役を、世話と時代で演じ分けなければならず、同じような印象にならないように、芝居の風格を変えなければ・・・、と思っております。
平成19年7月
◆「砂利」 蓮見田
難しい役です。雪国で復讐を恐れ庭に砂利をまいてその侵入におびえている男で、感情を失っているという設定になっていますが、本当に失っているのか、失ったふりをして自分を納得させているのか・・・・。本谷さんの脚本は私の役だけではなく、ほかの出演者にも一筋縄ではいかない謎を投げかけています。人間が表層で他人に見せている顔はまさに氷山の一角・・・・。深層には氷山と同じで、さらに不可解で大きな部分を抱えているという深い命題が、コミカルなやり取りの中に展開されていきます。
今回この公演に参加させていただいたおかげで、脚本の本谷有希子さん、演出の倉持裕さんという2人の若くすばらしい才能に巡り合うことができ、そのみずみずしい感性によって今まで眠っていた細胞を揺り起こし、さらに錆びついた細胞を磨き落としてくれているような、新鮮で細やかな稽古期間を過ごさせてもらいました。この貴重な体験を無駄にすることなく、新しい自分をたくさん発見して、今後の役者活動に活かしたいと思っています。
平成19年5月
◆「泥棒と若殿」 松平成信
もちろん初役です。これまで商業演劇として上演されてきましたが、歌舞伎の新作物としての上演は初めてになります。年齢的には泥棒役が年上の方がよいのかもしれませんが、私と松緑さんの持ち味を考えると、今回の配役の方がお互いが生きると思い、若殿役を演じることにいたしました。1時間ほどの芝居ですが、周五郎らしい、人間のやさしさを描いたいい芝居ですので、松緑さんと協力して、男同士の奇妙な友情の機微を丁寧に描き、皆様の胸に温かさと切なさをお伝えできるよう、努力するつもりです。
◆「女暫」 舞台番
亡くなられた宗十郎兄さんの女暫で演じて以来2度目です。ただ、仁左衛門襲名のときに音羽屋さんがこの「女暫」を勤め、舞台番が成田屋さんだったのですが、成田屋さんが急病で、「近松心中物語」の稽古場から急遽呼び戻され、すぐに代わって出た思い出があります。衣裳が間に合わず、「成田屋」と染め抜いた浴衣で出演したことを今も鮮明に覚えています。今回は羽左衛門のおじさんの7回忌の追善。父の代からお世話になった先輩でもあり、私の三津五郎襲名の「口上」がおじさんの最後の舞台になったのですから、その御恩返しのためにも、心をこめて、萬次郎さんを助けて明るく舞台を盛り上げようと思っています。
◆「三ツ面子守」
去年「たけのこ会」で初めて勉強させていただいたものが、歌舞伎座の本興行で取り上げられることになりました。私にとっても、作品にとっても幸せなことだと思います。あまり歌舞伎の舞台では上演されませんが、舞踊会では、ことに若手の演目として頻繁に上演されている作品です。昔の振りは手が込んでいて、体使いも大変で、51歳の私がどこまで子守娘の踊りを表現できるか・・・・・。この先あまり踊れる作品ではないと思いますので、今回の上演をぜひお見逃しないようにご覧いただければ、と存じます。
平成19年4月
◆「盟三五大切」 薩摩源五兵衛 実は 不破数右衛門   家主弥助
初役です。この芝居に出るのも初めてです。仮名手本忠臣蔵、四谷怪談を踏まえた南北の名作だと思います。初め役をいただいたときは、柄からいって私が三五郎で、橋之助さんが源五兵衛の方がいいのではないか・・・、と思ったりもいたしましたが、調べると初演の源五兵衛の5代目幸四郎が61歳、三五郎の7代目團十郎が34歳であったことが分かりました。

つまり「四谷怪談」の、若い團十郎の民谷伊右衛門に年功の幸四郎の直助権兵衛という配役と、まったく逆の設定になっているのです。そのことに気付き、ある程度年齢のいった熟年の男が若い男女に翻弄されていく面白さが出れば・・・・、と思い取り組む決心をいたしました。江戸時代の不滅のヒーロー赤穂浪士を、田舎侍で女に騙され無差別殺人を犯す人でなしに設定する大胆さ、またその源五兵衛の行動を見守りながらも、最後には討ち入り参加で幕を閉めるブラックさ。武士の建前社会を痛烈に批判した南北の目は恐いほどです。今回は初演以来の型である、源五兵衛と家主弥助を同じ役者が二役で演ずるというやり方ですので、その面白さも合わせて味わっていただければ、と思います。
◆「芋掘長者」
2年前の5月中村屋さんの襲名の歌舞伎座で、45年ぶりに私が復活した踊りが再演できますことは嬉しい限りです。なんの説明もいらない、お子さんからお年寄りまで文句なく楽しめる内容ですので、三五大切の陰惨な芝居のあと、明るく気分を変えて、楽しく劇場を後にしていただきたく思います。三五大切で奮闘した3人が、まったく違う役柄で再び顔を合わせるということも、歌舞伎ならではの楽しさです。
平成19年1月
◆「根の井の小弥太」
木曽義仲の旧臣という設定です。根幹となる鎌倉時代の人物ですので、その時代の人が江戸時代にタイムスリップしたときに味わうような、場違いな、いい意味での古風さが必要な役だと心得ております。ご趣向の芝居が、単にご趣向の芝居で終わることがないように、戯曲の背骨を貫く人物であると思いますので、そのように心がけ、厚みを持った人物の格好よさを演じられれば、と思っております。
◆「所化 弁長」
こちらは反対に、ご趣向そのものの設定です。鎌倉時代に出てくるはずもない、江戸の世俗ずれした、欲の深い、色にもおぼれる売僧坊主です。勧進芝居で義太夫を語る場面もあり、お七を相手にチャリの場面もありと、そこをどこまで遊べるかが、芝居を面白くさせるかの鍵にもなりそうです。心を解き放ち、今までにない三津五郎を臓腑からえぐり出して、皆さまを新年早々ビックリさせるような展開にもっていければ、とほくそえんでいます。
 
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