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平成24年12月
◆「御摂勧進帳」 武蔵坊弁慶
まったくの初役ですし、小柄な自分がやるとも思っていなかった役です。なんといってもこの狂言を復活された紀尾井町のおじさんの豪快な舞台が目に焼き付いています。見た目も大きく豪快なおじさんのようにはいかないことは分かりきっているので、自分の持ち味を生かして明るく稚気たっぷりに、楽しく演じられればと思っています。最後の芋洗いが一人っきりになってやや淋しい幕切れになってしまうことが気になっていましたので、今回は番卒のみんなに出てもらい、照明もちょっと工夫して、今年最後の観劇になるお客様が気持ちよく劇場を後にできるような、そんな幕切れになると良いと思っています。
しかし天国のおじさんや父が観たら、「お前が音羽屋の富樫を相手に芋洗いの弁慶をやっているのか・・」と苦笑いをされそうな面映ゆさは感じています。しかしせっかく与えられたチャンス。照れずに体をつかって精一杯の荒事を勤めようと思っています。
◆「籠釣瓶街酔醒」 繁山栄之丞
これまた初役です。しかもこのお芝居自体に出るのが初めてです。今回音羽屋さん親子の初挑戦が話題になっているように、私が育った菊五郎劇団では出ることがなかった狂言だからです。
何と言ってしどころのある役ではありませんが、八ツ橋が惚れている間夫の雰囲気、いかにも女が惚れそうないい男で甘えん坊でわがままなお坊ちゃんな風情、そうしたものが手に取るようにお客様に納得させられなければいけません。いわゆる技術で見せる役ではないのです。私のことですから絶世の美男子という訳にはいきませんが、自分の中のきわめて甘い部分をうんと引っ張り出して、八ツ橋を虜にしている男の色気を出し、次郎左衛門と八ツ橋の悲劇が浮き立つようにしたいと思っています。
◆「奴道成寺」 狂言師左近
5回目です。平成9年に初めて踊った時、その時41歳でしたが、5歳から習ってきた日本舞踊が、「本当の意味で楽しい・・」と感じた思い出の狂言です。
それまでは踊りの家に生まれた者として、どこかに「間違っていないだろうか」「ここはこういうふうにやるんだった・・」と自分をチェックしているもう一人の自分がいましたが、このとき初めて、大づかみにこの曲をどう踊ろうか、自分の感性と技術を信じて自分なりに踊る、ということができたと感じたのです。お料理でいえばレシピを見ずに、自分の目分量で調理ができるようになった感じで、一匹の鯛を目の前に「さあこの鯛を、焼こうか、煮ようか、蒸そうか」と思案し、目で確かめなくとも、調味料や火加減が自分の感性で調理を進められるようになったということでしょう。それだけの調味料がやっと揃ったということだと思います。
よく「引き出しが増える」と言いますが、長年の経験の積み重ねで、「調味料」つまり「踊りの引き出し」がようやく揃って、自分なりに踊ることができるようになったのだと思います。そのことによって、一曲をどのように仕上げるかという「演出力」が身についた感じがします。
あれから15年、そののち襲名披露でも勤めましたし、金丸座、もう一度歌舞伎座でも勤めました。今回さらに練り上げて、まろやかさと甘みと豊穣感のある踊りの世界を現出できるよう努力するつもりです。
平成24年8月
◆「芭蕉通夜舟」 松尾芭蕉
生まれて初めての一人芝居への挑戦です。
井上ひさし先生の作品は以前から好きでよく観ておりました。楽しい芝居の展開でにこやかに観ているうちに、やがて深淵なテーマが浮かび上がってくる独特の作劇術はいつ観ても素晴らしいものでした。遺作になった東京裁判三部作のとき新国立劇場のアンケートに「これまで楽しませていただき本当にありがとうございました。できればご生前にご一緒したかったです」と書いたくらいです。今回出演依頼をいただき、そのアンケートをお読みになって依頼が来たのかと思ったら、その時は新国立劇場、今回はこまつ座ということでまったく関係なかったことが分かりました(笑)。
という訳で、井上作品ということで喜んで出演を決め、「一人芝居ですが・・・」という言葉にも「大丈夫です」と答えたものの、台本を受け取っていささか焦りました。台本にして77ページ、ほぼ全部自分のセリフだったからです。本当にこれを全部覚えられるのだろうか・・・、と不安のまま稽古に入りましたが何とか覚えることができ、56歳の頭もまだまだ捨てたもんじゃないと自分に自信を取り戻しました。
しかしセリフ覚え以上に難しいのが、芭蕉の一生を36景に分けたそのひと場ひと場の演じ分けです。19歳から51歳までの人生を芭蕉が一人でいるところだけを選んで36景にまとめたこの作品。一人の人間の行動を一定の時間と共に追うのではなく、時空と心情が一瞬にして飛んでいく36景でできている芝居ですので、いわばそれぞれ色の違う36面で出来ている36面体の球のような芝居なのです。もともとあまり振り幅や多彩さの少ない人間ですので、その変化、色合いの違いを鮮明にして、いかに芭蕉の苦悩の多面性を表現できるか・・・、これが今回私が抱える大きな課題です。
しかし初舞台から50年という節目の年に、こうした新たな挑戦の舞台に巡り合えたことは、大きな意義をもつことです。さらなる自分の飛躍を目指して、勇気を持ってこの挑戦に挑みたいと思います。
平成24年5月
◆「封印切」 丹波屋八右衛門
ここ数年の短い間に立て続けに山城屋さんのご指名を受け、はや三回目となります。
上方歌舞伎の総帥の兄さんに信頼され、ご指名を受けることはまことに光栄なことだと思っております。
近松原作の「冥途の飛脚」では、廓に慣れない忠兵衛を気遣う友達として、根っからの悪い男には描かれていませんが、歌舞伎の「恋飛脚大和往来」では忠兵衛の二枚目ぶりを際立たせるために、「げじげじの八つぁん」「総すかんの八つぁん」として嫌われているイヤな男に描かれています。しかしそうはいっても丹波屋の若旦那ですから、下卑た品の悪さが出てはいけません。とにかく忠兵衛を煽って怒らせ、思わず封印を切ってしまうという気持ちにさせてあげるかが大事な役だと思います。
大阪商人独特のアクの強さ、粘りが必要ですから、根っからの江戸役者の私としては、大阪弁以上に、その体質を描きだすことに苦労をしています。自分ではかなり突っ込んでやっているつもりでも、きっと上方の方から見れば物足りない感じがするのだと思います。
眼目の忠兵衛とのやり取りは台本があってなきが如し。毎日その呼吸が変わり油断は許されません。この上方歌舞伎独特の芝居運びを、日本一の和事師の山城屋さんを相手に勤められるこの経験は、何物にも代えられぬ得難く貴重なものとして、私の役者人生に刻まれると思います。
◆「ゆうれい貸屋」 桶職弥六
およそ50年ぶりに復活したのが平成19年の8月歌舞伎座。それから5年ぶりの再演となります。前回私以外に誰もこの作品の存在を知らなかった芝居ですが、上演中に芝居仲間の幕内から「いい芝居ですね」「こんな面白い芝居知らなかった」という声が上がった思い出の作品です。
今回お相手の辰巳芸者染次が福助さんから時蔵さんに変わったことで、また違う味わいの芝居になってくると思います。
前回は納涼歌舞伎での上演ということと、福助さんの持ち味から、喜劇色の強い仕上がりになりましたが、今回は面白みがありながらも山本周五郎原作らしい、人生の機微を描いたほろ苦さが浮かび上がって来るような仕上がりになればいいなと思っています。
稼いでも稼いでも貧乏から抜けきれない辛さを味わっている弥六が、幽霊が始めた商売がもとで楽してお金を貯められる経験をし、その両方を味わうことで、人間がこの世に生を与えられた本来の意味に気付き更生していく、周五郎らしい人間愛に包まれた幕切れになればと思っています。
今回の團菊祭は「寺子屋」「身替座禅」「封印切」「太功記十段目」「高杯」とおなじみの狂言が並んでいますから、最後に珍しく楽しいお芝居をご覧に入れて、気分良くお客様が劇場を後にして下されば良いな、と祈っております。
平成24年2月
◆源義経
歌舞伎の作品には義経がたくさん登場しますが、牛若丸時代か、頼朝に追われ落人になってからの義経がほとんどで、絶頂期の義経が描かれているのはこの「一谷嫩軍記」ぐらいではないかと思います。そういう意味ではこの芝居の義経はまずは颯爽とした風情がなくてはいけないと思います。
平家を滅ぼす手立てを考える軍略家でありながら、平家方の人々に温情をかける優しい大将にも描かれています。ただ、院の御胤である敦盛を救うために、熊谷の息子小次郎を身替りに立てろ、という実に非情な命令を下す冷酷な男でもあるのです。このバランスがまず難しいところです。 今回は大序の「堀川御所」で熊谷に制札を渡し、その冷酷な命令を下すところから始まりますから、「熊谷陣屋」で首実検のあと「ゆかりの人もあるべし、見せて名残を惜しませよ」というセリフがありますが、この言い方が難しいと思います。優しく言った方が情があるように聞こえるかもしれませんが、その苛酷な命令を下したのは自分自身であるわけですから、小次郎の母相模に対する同情は持ち合わせながらも、絶対的な命令として変にべたつかず、まったく別の次元から語りかける、天の声のようでなければならない、と考えています。
また陣屋で義経が身につける鎧ですが、緋縅をお使いになる方が多いのですが、曾祖父七代目の芸話に「この場の義経の鎧は『紫匂ひ』でないと、八幡太郎めいていけません」という一節があります。私はこの言葉の裏には、一谷嫩軍記において緋縅の鎧は敦盛(小次郎)の象徴として使われており、それと同じ鎧を義経が身に着けるという愚を避ける、という考えがあると思うのです。現に陣屋の場においても障子の中に敦盛の緋縅が置かれています。したがって今回も私は紫匂ひの鎧を身につけようと思っています。
◆岡部六弥太
義経の命令によって平家の大将薩摩守忠度に、千載集に選ばれた花の枝についた和歌を届けに来るという、腹にいやなところがひとつもない颯爽とした男です。抜け駆けをする卑怯な梶原景高と対照的な、華も実もある武将に描かれているので、やっていて実に気持ちのいい役です。 ただ、京育ちの風雅な平家の武将平忠度と、武蔵の国出身の岡部六弥太の颯爽とした姿の、微妙な風趣の違いはしっかりと描かなければいけないと思っています。
ちなみにこの衣裳の着物の柄は、六弥太格子といって、八代目團十郎が別の芝居で岡部六弥太を演じたときに考案した柄です。
平成24年2月
◆「土蜘」 源頼光
19年ぶり3度目です。ついこの間、と思っているうちにもう19年も経っていることに愕然といたします。
こうした御大将の役は、たとえば義経もそうですが、たいしてすることはなく、それでいて圧倒的な存在感を発揮せねばならぬという非常に難しい役であります。たとえば「勧進帳」。弁慶と富樫は腕の振るいどころがあり、努力をすればなんとか観賞に値する成果を得られますが、義経はしどころといっても少なく、それでいてこの人のためならば、と思わせる存在感、気品、哀れさを表現しなければいけないというのは、役者にとって至難のわざなのです。
弁慶よく頑張ったね、富樫良かったね、と言わせることよりも、あの義経は良かったね、と言わせることが実は一番難しいことなのだと思います。
まして私は絶世の美男子でもなく、色気もあまりある方ではありませんので、こうした役は本当は不向きであると思います。とにかく、小さい時から見守って来た勘太郎君の襲名に、少しなりとも華を添えた、と言っていただけるように品格を第一に、なるべくまろやかに仕上げたいと思っています。
◆「ぢいさんばあさん」 美濃部伊織
初役です。それどころかこのお芝居に出たこともありません。森鴎外の短編を宇野信夫先生が脚色して劇化したもので、ひんぱんに上演される演目ですが今まで縁がありませんでした。
仲の良い夫婦が、ふとしたことから引き裂かれ37年ぶりに再開する場面が見せ場になりますが、それ以前の仲の良い夫婦を見せるところに多少の誇張があるのが気になるところです。序幕の蚊を取るやり取りとか、京都で仲間に「恋しいか?」と聞かれて「恋しい!」、「夢を見るか?」「見る!」、「帰りたいか?」「帰りたい!」と答えるところなど、ちょっと背中がむず痒く恥ずかしい感じがします。仲の良い=べたべたする、ということではないと思うからです。
現実に私の両親は梨園きってのおしどり夫婦と呼ばれるほど仲が良かったですが、人前でべたべたすることなどなかったです。それよりも何気ない日常の中に深い信頼を伺わせていたものでした。ですからセリフを変えることはできませんが、そうしたセリフが浮き上がることなくお客様に届くようにすることが第一だと思っております。
その流れの中で、京都の床で思わず下嶋を切ってしまったあと、自責の念にとらわれ、思わず妻が渡してくれたお守りを取り出すという工夫を致しました。なるべく言葉でなく、行動の中で夫婦の信頼を表したいと思ったからです。
37年後の再会は、喜び一辺倒ではなく、埋めきれない時間のひずみをどう対処していくのか、辛酸をなめ切った夫婦ならではの再生の方法を編み出すところに主眼を置きたいと思っております。再会したからといって一気に37年の歳月が埋まるわけもありません。互いに埋めきれない37年の歳月を抱えながら、それをすべて甘受しまた新たに二人の生活を構築していく・・・。その行く末を見守るように桜の花びらが舞い散る、そのような幕切れにしたいと思っております。
平成24年1月
◆「金閣寺」 松永大膳
3度目です。この芝居には縁がなく、鬼藤太にも正清にも出たことがなくいきなり大膳に出たのが平成17年の8月納涼歌舞伎でした。
ところがやってみるとこんなに面白い役はなく、すっかり虜になってしまいました。
天下をねらう国崩しですが、日本一美しい金閣寺に立てこもり、日本一美しい美女の雪姫を桜の木のもとにくくりつけその萎れかかる風情を楽しむという、サディスィックでありながらも美に対するこだわりは並大抵のものではない英雄のあり方が、たまらなく魅力的です。
とにかく規格外の格の大きさを見せながら、美女に心を寄せ、しかもさっさと犯すでもなく、萎れかかった風情を楽しむ感性を持ち合わせ、なおかつ国家を狙う悪役という、歌舞伎でなくては演じられない破天荒な役ですので、それを演じられる歌舞伎役者の特権を甘受し、楽しんで演じたいと思っております。
◆「加賀鳶」 春木町巳之助
もう何度目になったでしょうか・・・。勢揃いにはたくさん出て、松蔵もやりましたが、一番多く演じているのは巳之助だと思います。とにかく喧嘩の発端を作った役ですから、頭から湯気が出るようなカッとした鳶頭の威勢の良さを見せなければいけません。しかも通し上演の事を考えれば他の鳶とは違う色気もなけらばならず、楽しいながらも責任の大きい役です。
◆「矢の根」 曽我五郎
正月にはぴったりの役です。障子が開いて姿を現すとき、まだ誰も歩いていない伊勢神宮の掃き清められた玉砂利を真っ先に進んで行くような独特の清浄感があります。
「長き夜のとうの眠りの皆目覚め波乗り船の音の佳きかな」という七福神の絵を枕の下に置いて寝るといい夢が見られるという言い伝えを、曽我五郎の仇討にうまく取り入れられていますが、さりとて深い内容がある芝居ではありません。だからこそ荒事の重要要素である声の良さ、体の美しさを極限まで追求して明るく楽しい舞台にしなければならず、役者としては難しい役です。ただその難しさは、苦渋に満ちた内面の苦しさではなく、お客様には何も考えていないスコーンと抜けた冬の空のような開放感と感じていただけるようにすることが、役者にとっての難しさです。しかし25分間、まったく人に気を遣うことなく、自分のことだけ考えて没頭できる爽快な役であり、正月にこの役を演じられる喜びをを感じながらステキな舞台にしたいと思っております。
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