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平成18年12月
◆「元禄忠臣蔵」  仙石伯耆守
初役です。当時の幕府の大目付です。四十七士の快挙に大きく心を動かされながらも、大目付として冷静に事情を聴取し、詮議中四家に分かれてお預けとなる旨を、浪士たちに伝えます。すなわち46人はこの仙石屋敷で最後の別れを交わし、四家に分かれてお預けとなっていくのです。伯耆守は、幕府の役人として冷静に事に対処しながらも、大石を始めとする浪士たちの心情に大きく心を寄せられます。
片や罪人、片や役人という立場でありながら、お互いに心の奥底で深く交流しあうという、仙石対大石の大人のドラマを、討ち入りの模様を本人たちが語り出すという趣向のなかに浮かび上がらせていくのが、仙石伯耆守の役の使命だと思っております。本年の最後の仕事、とても気のいいこの役で見事に飾りたいと思っております。
平成18年11月
◆「先代萩」  沖の井
もちろん初役です。まさか自分が沖の井を勤めるとは思ってもいませんでした。この年になって経験したことのない片はずしの真女形の役に挑戦できるのは、自分の可能性を広げる意味でも大変ありがたいことだと思っています。しかも今回は「竹の間」 が出るので沖の井は重要な役です。こころして勉強し、せっかくのチャンスを無駄に しないように努力したいと思っています。
 
◆「源太」
東京の本興行では初めてになります。なんともいえずいい踊りですが、きりっとしたなかにも柔らかさがなければならず、また戦物語から廓話へのなめらかな変化も要求される、なかなか難しい踊りです。若い頃には手も足も出ませんでした。この頃ようやく、30年前に三津蔵師匠に教えられたことが分かるようになってきました。色気があって滑らかで、なんとも言えぬ味わいのある世界。そんなものが舞台に漂えばいいな、と思っています。今回は「先代萩」の序幕で頼兼が紫の同じような衣裳を着るので、三代目の錦絵にならい、藤色の着付にしようと思っています。
 
◆「願人坊主」
まったくの初めてです。父が昭和55年の第1回「登舞の会」で復活した踊りです。
そのときは「源太」「老女」「願人坊主」の3段返しで、「源太」は私が勤めていました。六代目菊五郎が初演して人気舞踊になった清元の「うかれ坊主」の原曲です。
六代目は常磐津の「願人坊主」を清元になおし、さらに清元の「納豆売」の一部を付け加えて、新しく「うかれ坊主」としたのです。それが人気曲となり、この常磐津の原曲の方は忘れ去られていたものを、父が復活したという訳です。ですから今回歌舞伎の本興行での上演は、おそらく江戸時代の三代目三津五郎以来になるのではないかと思われます。「源太」との変わり目を鮮やかに、「うかれ坊主」よりややリアルに汚い、「願人坊主」ならではの味わいを出したいと思っています。
 
◆「鶴亀」 鶴
素踊りで亀を勤めたことがありますが、歌舞伎の舞台では初めてです。ほとんど謡曲から採った歌詞なのでまことに格調の高い踊りです。その分砕けた面白さには欠けるので、ひたすら品良く、立派な大きさのある舞台にしたいと思っております。京屋さんのお元気さにあやかれるよう、おそばでそのパワーを感じ、学びとりたいと思っております。
 
◆「河内山」  松江出雲守
何度か勤めておりますが、正直に言ってあまり気分の良い役ではありません。お数寄 屋坊主にしてやられ、最後に「馬鹿め」と言われるのですから・・・・・・。ただ自分も河内山を勤めたことがありますが、この松江出雲守の存在が大きくないと、河内山はやりにくいのです。なんと言っても18万石のお大名。普段なら親しく口をきくこともできない相手です。その雲上人のところへ単騎乗り込んでいくところが、この芝居の醍醐味ですから、安っぽい松江侯では困るのです。この芝居の登場人物のなかでは桁外れに身分の高い人、という事を忘れずに、成田屋さんのお相手を勤めたいと思っています。
平成18年10月
◆「越後獅子」
2001年2月、三津五郎襲名の歌舞伎座以来になります。ポピュラーな曲で、子供さんや初心者でも踊る曲ですが、大人の味わいをにじませるとなると軽視は禁物です。最後の一本歯の下駄を履いた晒しの部分が注目されがちですが、踊り手としてはむしろ、浜唄のところの味わいが勝負だと思っています。故郷を思うゆったりした心情が溢れるように、それがご覧になられる方に、たまらない余情となって胸に染み込んでいくように、大切に勤めたいと思っています。
 
◆「盛綱陣屋」 和田兵衛秀盛
いうまでもなく大阪の陣が下敷きになった作品です。佐々木盛綱、高綱兄弟が、真田信之、幸村兄弟。北条時政が徳川家康で、時政の出の義太夫の「一陽の春を待つ平時政」という文句は、「松平」を暗示させるように書かれています。私の役、和田兵衛秀盛は、後藤又兵衛がモデル。豪快な男で大酒呑みとしても知られ、「義経腰越状」でもその酒呑みの設定が生かされています。敵の陣所に甲冑も付けず単身乗り込むような豪胆な男ですから、舞台姿を立派に大きく、文楽のセリフなども研究しながら初役を作り上げ、山城屋さんご襲名の舞台に華を添えることができればいいな、と思っております。
 
◆「髪結新三」 弥太五郎源七
二度目です。ずいぶん前の大阪松竹座で勘九郎さんの新三で勤めました。昨年の勘三郎襲名では、同じ芝居で忠七と大家の二役を勤めたので、セリフがややこしくて困っています。
今売り出しの新三に比べ、少し落ち目の初老の侠客で、前回は相手が中村屋だったのでまだ良かったですが、今回は先輩の菊五郎さんに「おじさん」と呼ばれるので、ちょっと(参ったなぁ・・・・・)と思っています。でも新三に拮抗する大切な大きい役ですから、舞台ではずっと年上に見えるように、貫禄と年輪を感じさせるように工夫したいと思います。できればそのうち、髪結新三そのものを再演したいと野望を抱いています。
平成18年8月
◆新作舞踊劇「たのきゅう」
わかぎゑふさんとは以前から、何か歌舞伎のために書いてよ、とお話はしておりました。ずっと躊躇されていたのですが、去年「創邦21」というグループで今藤美治郎さんが作った「たのきゅう」という曲を聞き、これは楽しい民話舞踊劇になると閃き、わかぎさんに是非にとお願いしました。わかぎさんの持っているポップなアートのセンスが活かされる題材であり、また娘、殿様、和尚と早替りの部分や、大蛇との闘いの部分が、舞踊として大きな見せ場になると思ったからです。いずれにしても皆様に喜んでいただける楽しい舞踊劇に仕立てようと、スタッフ一同努力を重ねているところです。どんな舞台になりますか・・・・・どうぞご期待ください。
 
◆「吉原狐」 三五郎
この作品の初演は拝見しておらず、今回はじめて読ませていただきました。歌舞伎をよくご存じな村上元三先生らしく、先代勘三郎、先代幸四郎のおじさんの個性を生かした脚本作りになっています。いい人間でありながらちょっと早とちりでおっちょこちょいな芸者と、いたってのんびりと律儀な、それでいて色気はまだ失っていない父親との対照が、うまく描かれた作品となっています。軽いタッチの喜劇ですが、吉原に生きる人たちの日常が、ほのかな郷愁となって皆さまの心に届くよう、三五郎という人物を造り上げたいと思っています。
 
◆「駕屋」
初めての上演です。舞踊会でも踊ったことがありません。だがいつかは一度、と念願にしていた踊りでもあります。ちりめん浴衣にいなせな姿、またその浴衣さえ脱いでしまい、最後はふんどし一丁で踊るという小気味のいい踊りです。しかしそこに犬が絡み、可愛い愛嬌を添えるのがミソになっています。今回はその犬に坂東小吉。故吉弥さんのお孫さんの初舞台は、戌年にちなんだ可愛い役になりました。この後も末永くご声援を賜りますよう私からもお願い申し上げます。
 
◆「南総里見八犬伝」 網干左母二郎  犬山道節
左母二郎は二度目になります。以前演じたのは15年前、こうした色気のある悪役を演じたのは初めてでしたので、嬉しくていろいろ工夫した思い出があります。今回はその左母二郎を殺す道節との二役ですので、どうやって早替りをするか、スタッフと共に知恵を絞っています。お化粧を変える時間はないので、瞬時に村のゴロツキから八犬士の頭目へと、どう人間性を変化させるか、役者の技量が試されるところです。
渥美先生の八犬伝は、泥絵の具で描いた絵芝居のような歌舞伎味が醍醐味ですので、あまり理屈っぽくならず、楽しみながら色濃くキャラクターを造型してみたいと考えています。
 
平成18年6月
◆「三つ面子守」
初めて勉強させていただきます。若手の勉強課目として頻繁に上演されるので、自分が勉強しないことにはきちんとした指導ができないと思ったことと、曽祖父7代目のものが絶品と聞いておりましたので、一度は挑戦しなければと思っておりました。
三つ面を使っての踊りが眼目であるのはいうまでもありませんが、全体に手数が多く、体をしっかり使って踊りぬかなければいけませんので、膝も足もクタクタになって稽古をいたしております。
平成18年5月
◆「外郎売」 小林朝比奈
以外なことに「外郎売」に出演するのは初めてです。敬愛する團十郎先輩の復帰を明るく大きく華やかにお祝いできるのは嬉しいことです。猿隈を取るのも久しぶり。
朝比奈らしい、愛嬌のある力強さを、明るさとともに表現できればと思っております。
 
◆「権三と助十」 助十
この役を演じるのは5回目になります。音羽屋さんと3回、中村屋と1回勤めております。長屋を舞台にしたミステリー仕立ての喜劇ですが、やる度に何かが起こる芝居で、まじめにやっているのに何かしらのハプニングが起き、舞台も場内も爆笑の渦に包まれてしまう、ということが何回もありました。そのとき元気に大家の役を勤めていた父や、松助さんが他界してしまったことを考えると、楽しい芝居だけに、なにやら言いようのない感慨にとらわれますが、今回、足の手術をされた田之助兄さんがこの芝居で復帰されるのが明るい、嬉しい話題です。
 
◆「傾城反魂香」 浮世又平
この芝居では松緑のおじさんや父の又平で修理之助を勤め、その後雅楽之助も勤めました。又平を初演したのは昭和63年の国立劇場。舞台稽古に松緑のおじさんが来てくださりいろいろご注意をいただいたことは、忘れられぬ思い出です。その後、松竹座、襲名巡業と演じて参りましたが、歌舞伎座で演じるのは初めてになります。他の方もよく演じられる役ですが、松緑、父の舞台を肌で知っている人間として、又平という人間の悩み苦しみの深さ、名前を許された喜びの大きさを、夫婦の情愛とともに、皆様の心にしっかりと届くように大切に演じたいと思います。
平成18年4月
◆「浅妻船」 「まかしょ」
どちらも舞踊会では勤めているものの、本興行で踊るのは初めてです。
「浅妻船」は船遊女でありながらも気品は失いたくなく、慣れない女形を、いかに美しく華麗に見せることができるかが課題です。振り鼓や鞨鼓もあり、この曲を踊っておくと「道成寺」を踊るときに役立ちます。その意味では先月踊った「道成寺」がこの公演の後だったらもっと良かったのに・・・・・・・・、と悔やんでおります(笑)。

「まかしょ」は一転して願人坊主らしく軽快に、ちょっと卑俗な味わいを含ませながら踊ることが肝心です。また、こういった 足が見えてしまう踊りは、ひとつひとつの足の上げ下げにも注意を怠ることなく、足の表情まで意識して踊ることが重要だと思います。
 
◆「浮世柄比翼稲妻」 名古屋山三
難しい役です。どこといってそう仕所がある訳ではありません。ただそこにいるだけで、なんともいえぬ風情を感じさせなければならず、こういった役が一番厄介です。雨漏りのする長屋で傘をさしながら、平然と下女にものを言いつけたりする浮世離れした悠長さ。そして葛城、お国という二人の女を捉えて離さぬ色気。また主人の家のために奔走する頼りがいのある武士の一面。それらが渾然一体となって役者の肉体から浮かび上がってこなければなりません。

ひとつの役が精神を伴ったひとりの人間として存在するのではなく、芝居のなかのひとつの役柄としてどれだけ強烈な光を 発することができるか、が勝負であるのが南北の芝居です。いわば劇画の世界です。登場人物たちがそれぞれ色濃く現実離れした存在でありながらも、そこにはそのなかでしか成立しないリアリティーがあり、だから他の芝居にはない魅力が溢れるのです。

今回は金丸座での上演ですので、南北が用意した、雨漏りのする長屋に花魁道中がやってくるという奇想天外な趣向や、純情ではあるが痣のあるお国とその父又平の殺しの場面、両花道を使った鞘当など、大劇場では絶対に味わえない面白さ楽しさを味わっていただけると思います。
平成18年1月
◆「獅子を飼う」 豊臣秀吉
秀吉は日本をほぼ平定し、権力者としてその高みに登りつめています。しかし彼の心中は穏やかではありません。
なにも考えずただ必死に頂点を目指して走り続けて来た時期と違い、もはや自分がなすべきことはないのではないかという苛立ち、後継者が生まれないという不安、権力者の孤独、そして忍びよる老いに対する焦燥感、といったものにさいなまれています。
あまり表現されることの少ないこうした秀吉の影の部分を、芸術の普遍性を訴え続ける利休との対立を軸に、色濃く多彩に表現していきたいと思っています。
   
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