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平成20年12月
◆「京鹿子娘道成寺」 白拍子花子
本興行ではもちろん初めてです。20年前の坂東流の舞踊会、2年前の金沢での舞踊会と、たった2度踊ったきりです。しかし、三津五郎家にとって「道成寺」はゆかりの深い狂言で、立役として初めて踊ったのが初代三津五郎、その息子の3代目三津五郎も得意としていたようで、関東大震災で焼失するまでは、その3代目から伝えられた道成寺に関する秘伝の一巻が存在していたようです。曾祖父7代目はその3代目以来の道成寺と一巻を、2代目三津江という女狂言師から伝えられました。道行に赤の衣装と常磐津を用いること、恋の手習いの部分をまだ恋を知らない乙女で演じるために、他流とはいささか振りが違うこと、最後にまた赤の衣装に戻ることなど、坂東流ならではの特色のある舞台を皆様にお見せできれば、と思っております。

先月の巡業の合間に紀州の道成寺を初めて訪れて来ました。紀州の山の中で今から1080年も前に起きた一つの事件が、我国の芸能の世界において「道成寺物」と呼ばれるほどの大ジャンルを築くに至った、その歴史、過程の面白さに思いを馳せました。それほど「道成寺」は田舎に存在していたのです。しかし、現地に立ち、自分の目で見、その場所の空気を吸うことがどれほど大切なことかを、今回もまた実感いたしました。山門の前の64段の石段に立って、たとえ少しでも乱拍子を踏んでみたいと思いましたし、日高川を越えて追ってきた清姫の息遣い、安珍の焦燥が感じられるようでした。女形専門ではないので、「まあきれい・・・」というようなものにはならないと思いますが、精一杯の努力をして、上演の意義のある舞台にしたいと思っております。
◆「佐倉義民伝」  幻の長吉
私の育った菊五郎劇団ではまず出ない狂言でしたので、あまり馴染みがありません。昭和55年に勘三郎のおじさんの宗吾、歌右衛門のおじさんの将軍、松緑のおじさんの幻の長吉という大顔合わせの舞台に、今の勘三郎さん、福助さんたちと一緒に、一度大名に出たことがあるだけです。

今回の幻の長吉という役は、・・・・まさに幻で(笑)、何をしに舞台に出て来るのかよく分らない役です。私の解釈は、ちょっと悪いことをして小役人に追いかけられていた長吉が、たまたま網の目を逃れて帰ってきた宗吾を見かけて、今金になることがあるからちょっと待ってろ、お前たちにも金をやるから見逃してくれと言って宗吾を脅しに来たものの、小役人の裏切りに合いまた追いかけられて消えていく・・・。その姿を見て、宗吾が家を立ち退く支度を始める、という段取りにつながっていくというものです。そうでも考えないと、長吉はともかく、捕り手の二人が宗吾の家まで来ていながら、宗吾を捕まえず、長吉を追って引込んでいくのかが分からなくなってしまうのです。しかし前幕で道成寺を踊った役者が、ふんどし一丁になってよいものかどうか・・・・、私も不安に思っております。(笑)
平成20年11月
◆「魚屋宗五郎」  宗五郎
4年前、海老蔵襲名のとき以来です。そう、成田屋さんが病で倒れられ「勧進帳」の弁慶を代わったあのときです。「弁慶」のあと15分の休憩で「宗五郎」・・・・、あのときは本当に疲れました。

亡き松緑のおじさんの舞台に三吉で出していただき身近に学び、さらに直接教えていただいた、私にとっては殊のほか大切な、忘れようにも忘れられない大切な役です。今回松竹から、巡業でというお話をいただいて、後半屋敷へ行ってからの道具転換がスムーズにできるかが心配でしたが、うまく工夫してくれ、さほど流れを崩さずにやれていると思います。巡業というのは数を重ねるので、こういう世話物がどんどんこなれて身に染みていき、芝居をしているのか普段なのか分からなくなるように、自然になっていくのは嬉しいことです。

芝雀さんとの息もぴったりで、本当の夫婦のようにやれるのは有難いです。得難い友人であり相手役です。また父親太兵衛の市蔵君もよくやってくれていますので、ぜひご覧ください。
◆「京人形」 左甚五郎
3回目です。今回「魚屋宗五郎」がまず決まり、踊りはどうしようとなったときに、誰それの顔を立てるとかそういう楽屋向けの発想はやめて、第一にお客様のことを考え、こういう明るく楽しいファンタジーな作品がいいのではないかと芝雀さんと相談し、二人で決めました。京人形、甚五郎の他にも、女房、奴、お姫様、捕手頭と、一座の人間が揃いますしね。数日やったところですが、どうやらお客様は喜んで下さっているようです。

テレビやインターネットなどで、同時間に情報を共有できる今の時代に、昔の感覚で「地方巡業は若手の勉強場所」という感じで安易な配役をするのはよくないと思います。少ない座組のなかでも、その一座として一番魅力あふれる演目を選定していかなければ、地方の方に見透かされ、人気を失っていくのではないかと、いつも心配しているのです。お客様が満足されて笑顔でお帰りになっていただけるよう、これからも努力したいと思います。
平成20年10月
◆「金閣寺」 松永大膳
3年前に初演し、すっかりこの役の魅力に執りつかれてしまいました。将軍の母を拉致し、日本一美しい金閣寺に立て籠もり、天下の美女雪姫を幽閉し、桜散る風情のなか悠然と碁を打っている・・・。雪姫に、天井に墨絵の龍を描くか、自分のものになるかを迫り、桜の木の下にくくりつけ美女が悶々とする風情を楽しんでいるという、何ともサディスチックで不思議な、倒錯した魅力にあふれた役です。国崩しの大役としてのスケールの大きさ、悪の強さは言うまでもなく、それに加えて美に対する審美眼、圧倒的な男の持つ色気を必要とする、歌舞伎の世界でもあまり例のない、じつに魅力的な役です。3年前、自分には似合わないのではないか、という思いで演じ始めたのが、いつしかこの役の魅力にはまってしまい、毎日舞台に出るのが楽しくてしかたがない、という思いを体験いたしました。その大膳をまた再演できるのは願ってもない幸運です。さらに工夫を重ね、歌舞伎でなくては味わうことのできない、豊潤な美と色気の世界を体現いたしたいと思っております。
◆「河内山」 河内山宗俊
3度目になります。この役もまた男っぽい役です。御数寄屋坊主、いわゆる茶坊主ですが、裏の世界ではちょっと名の知られた親分格。そんな河内山が、上州屋の娘を救うために18万石の大名松江出雲守の上屋敷へ、上野輪王寺の使僧道海と偽って単騎乗り込んでいきます。この度胸あふれる振る舞いが現代では伝わりにくいため、ねちねちと大名をやりこんでいく河内山の技巧に愛嬌をプラスした面が面白がられる傾向になっていると思います。江戸末期に尾張藩の上屋敷を写した写真が残されています。とんでもない大きさで、屋敷というより要塞、小さな城といってもいい規模で堂々とあたりに君臨しています。その写真を見ると、こんな所へ河内山は一人で乗り込んでいったのか、その行為がどれほど度胸の入る行為だったが一目瞭然です。この芝居が初演された明治初年には、そんな武家屋敷の風景をはっきりと覚えていた観客ばかりでしょうから、この男の度胸の良さに感じ入ったのでしょう。しかし今は大名の上屋敷の書院で当主と一対一で対決する、その度胸、胆力が伝わりにくく、自然愛嬌と、見顕しになってからの長台詞が聞きどころになってしまったのだと思います。
しかし本来は男の中の男一匹、河内山宗俊の度胸の良さが売りの芝居だと思いますので、その主題に沿うように、男っぽい魅力にあふれた河内山にしたいと思っております。
平成20年8月
◆「女暫」 手塚太郎光盛
いや〜何年ぶりになるのでしょうか・・・、25年以上は経っていると思います。本来は少年の役ですから、出演者のなかで一番若い人が勤めることが多い役ですが、今回は年長の私が勤めることになりました(笑)。納涼歌舞伎始まって以来の伝統である、自分の出し物だけでなく皆で出演し助け合って一座を盛り上げていこうという趣旨の一環で、ほぼ全員が顔を揃える贅沢感を味わっていただければ幸いです。出演者の誰よりも若く見えるように頑張るつもりです。
◆「らくだ」 手斧目の半次
中村屋さんと2度、音羽屋さんと1度勤めておりますから、4回目になります。ついこの間演じたように思っておりましたのに、台本を取り出して見ると、中村屋さんと演じたのは平成5年と6年。もう14年も経っていることが分かり、びっくりいたしました。死体を踊らせるという奇想天外な喜劇、しかも死体の駱駝役の亀蔵さんが絶品ですから、ただ見ているだけでも楽しくなること請け合いです。死体を踊らせている場面は、お客さまは大笑いですが、踊らせているこちらはけっこう体力を使うので、いつも汗びっしょりです。今回は、前半強い半次と弱い久六が、後半酒が入ってからその立場が逆転していくという人間喜劇の面をはっきりさせるためにも、前半の半次を強くくっきりと描いておこうと思っております。
◆「つばくろは帰る」 大工 文五郎
川口松太郎先生の作品で、昭和46年明治座で故尾上松緑のおじさんと淡島千景さんで演じられ、子役の岡村清太郎(現在の清元延寿太夫)が大評判をとりました。その舞台を覚えていて、改めて本を読みなおしてみました。すると、まず分かりやすく楽しい芝居であること、また福助さんと私、子役の小吉、勘太郎、七之助、巳之助など、それぞれの配役がぴったりはまること、そして、何より人間の温かさがお伝えできる芝居であることなど、納涼歌舞伎にはぴったりと思い、この作品を選びました。大工の親方と弟子たちの信頼感あふれるやりとりや、歌舞伎にしては珍しい京都の芸妓舞妓の風情、親子の情愛など、よき日本人の心をお伝えし、皆様の気持ちが温かくなるような作品にしたいと思っております。
◆「愛陀姫」 織田信秀
3本目の野田秀樹作品です。前2作とはかなりおもむきの違う作品になりました。まず主役の勘三郎ありき、という作品ではなく、オペラの「アイーダ」を下敷きに、スケールの大きな、崇高な愛のドラマに仕上がっています。これだけの深い内容を含みながら、それを1時間20分という上演時間にスピーディーにまとめ上げてしまう野田秀樹の筆力、演出力には脱帽です。私の役は愛陀姫の父親、敵国の大将織田信秀。 出番はそう多くありませんが、ドラマの鍵を握る重要な人物ですので、娘への愛と、敵国と争う総大将としての立場に揺れ動く、複雑で厚みのある男性像を描き、それにオペラのスケール感を加味できればと思っています。
平成20年5月
◆「喜撰」  喜撰法師
2001年1月歌舞伎座の襲名披露、4月大阪の襲名での「六歌仙容彩」の通し上演、襲名の巡業での公演と、これまでに3回勤めております。
しかし今回は7年ぶりの東京歌舞伎座ですから、この7年間の蓄積という意味でも問われるものは大きいと思います。八代目、九代目、十代目と、三代続いて襲名披露狂言に選ばれた、三津五郎家にとっては大切な家の芸ですからなおさらのことです。
ふわりとした大きさ柔らかさ、飄逸味などが、どれほど増しているか・・・、まだまだ勉強することはたくさんあります。こののちも踊り続けていく演目でしょうから、その折々の上演を観て、成長の証を皆さんに感じていただけるように、精進を重ねたいと思います。
なお今回は、「釈迦牟尼佛」の鉦のくだりを、東京では初めて上演します。
◆「極付幡随長兵衛」  出っ尻清兵衛
昭和59年以来24年ぶりで、まことに久しぶりの役です。この芝居は20代の頃から子分、出っ尻、唐犬、水野と様々な役でかかわって来ました。なかでも一番初めに子分で出たときの、先代白鸚のおじさんの長兵衛のセリフが今でも耳に残っています。
今回久しぶりに出っ尻を演じるに当たって台本を読みなおしてみると、子分の中でもちょっと毛色の変わったひょうきんな「出っ尻清兵衛」という役を置くことによって、前半の芝居を明るく軽快に運び、それがあるために後半の悲劇がより生きてくるという、作者黙阿弥の作劇の妙を感じました。その作意を生かせるよう、軽く明るく楽しく演じたいと思っています。
◆「青砥稿花紅画」 忠信利平
この芝居にも数限りなくかかわっています。浜松屋宗之助、鳶頭清次、弁天小僧菊之助、赤星十三郎、忠信利平、南郷力丸、やっていないのは日本駄右衛門ぐらいです。
いっとき忠信利平を続けて演じていた時期がありましたが、このところ南郷力丸が圧倒的に多く、忠信利平を演じるのはずいぶん久しぶりになります。通し上演ですと昭和62年以来21年ぶり、稲瀬川勢揃いの場でも平成5年以来15年ぶりということで、自分でもちょっとびっくりしております。
このところ序幕の忠信利平を、着流し姿で演じられることが多かったのですが、今回は、袴姿の信田小太郎と間違えられるのですから、無地の着附に野袴、野羽織という扮装に戻しました。いずれにしても武家あがりの浪人者の、渋い男のかっこよさを追求して、ダンディなつくりにしたいと思っております。ご期待ください。
平成20年4月
◆「将軍江戸を去る」  徳川慶喜
初役です。これまで数々の名舞台を見て参りました。なかでも寿海のおじ様、先代團十郎のおじさんの舞台が印象に残っています。 司馬遼太郎さんの「最後の将軍」という小説が好きで、今まで2度ほど読み、今回また改めて読み直しました。また、ある方から教えられ河合重子さんの「謎解き徳川慶喜」も読ませていただきました。つくづく不思議な運命に操られた方だと思います。徳川御三家でありながら尊王思想である、水戸家から生まれた初めての将軍。しかも幕末の動乱期に、相反する二つの立場を内包しながら将軍に立ったのですから、その外的な苦労、内的な苦衷は、察するに余りあるものがあります。しかし、あまりにも思想家でありすぎた・・。征夷大将軍として、種々の困難は克服しながらも、最後のところは決心を固めて武士として命がけの行動を起こしていれば・・・また違った結末を迎えていたことと思います。彼個人の問題だけでなく、幕府という制度そのものが平和に慣れ、日々の慣習や駆け引きにのみに忙殺され、高地に立った世界観、時代を読む政治観、いざという時の武人としての潔さ、そのすべてを失ったゆえの結果だと思います。徳川家15代の将軍として、流れ来る時代の波と必死に戦い、順応しようとし、勤王の思想を貫きながらも、ついには朝敵の汚名を着ることになってしまった彼の皮肉な生涯・・・。 そして最後の最後の彼の決断によってもたらされた日本の未来・・・。日本史上もっとも多忙な2年間を送った慶喜の、苦渋に満ちた哀感を感じていただける舞台にしたいと存じます。
◆「浮かれ心中」  太助 のちの式亭三馬
11年ぶり2度目の太助になります。この作品は井上ひさしさんの「手鎖心中」を原作にして、実に軽いタッチの作品として描かれておりますが、内容をよく斟酌すると実に深いものがあります。時代の治世者によって都合のよいように操られていく民衆、その中にあって常により良い社会を目指すべきだという言論人との戦いは、有史以来つねに続けられてきた歴史であり、今もその中で戦っておられる方があります。先般の映画「母べぇ」で私が演じた父べぇもそうでしたし、一昨年の演劇賞を受賞した永井愛さんの「歌わせたい男たち」も、国旗掲揚、国家斉唱に思い悩む校長が主人公でした。
そうした重い主題を持ちながら、きわめて軽いタッチで軽快に劇を進行していくのが井上ひさしさんの劇作の妙味であり、今回の小幡欣治脚色はさらに大衆色強く分かりやすい作品になっておりますから、皆様には気軽に見ていただけることと存じます。演じ手といたしましては、みなさまに楽しんでご覧いただくうちに、その時代に必死に生きた青春群像、また原作に内蔵された、時代に対峙していくイデオロギーの大切さを感じ取っていただくことが出来ますれば、幸いでございます。
平成20年2月
◆「小野道風青柳硯」 独鈷の駄六
まったく見たことがありません。資料を拝見すると、先代吉右衛門さんが小野道風をたびたび演じておられ、独鈷の駄六に曾祖父7代目三津五郎、6代目菊五郎なども出演していたようです。前半は、花札の雨の絵で有名な蛙が柳に飛びつくさまを道風が見て、謀反人の怖さを悟る件りが中心、後半は独鈷の駄六との相撲混じりの手が入った一風変わった立ち回りが見せ場です。30分足らずの小品ですが、長い間かからなかったものはやっぱりつまらいね、と言われないように工夫をして、古風な、味わいのあるひと幕に仕立てたいと思っております。
◆「寿曽我対面」 曽我五郎時致
襲名以来7年ぶりです。あれからもう7年も経ってしまったのかと思うと、感慨無量です。今思えば襲名の大舞台で初役でしたから、多少の力みがあったかもしれません。今回はそうしたプレッシャーなく気軽にできる良さがありますので、あのときよりも若返って、冬の空のように高く澄み切った、スコーンと抜けた五郎になればいいな、と思っております。
平成20年1月
◆「芋掘長者」 芋掘り藤五郎
4年前に復活して今回が3回目となります。このように復活した狂言がおかげさまで好評で、再演を重ねることができるのは嬉しいことです。昨年の名古屋でも大好評でした。今回は正月ということもあり、より明るく楽しい舞台にしたいと思っております。橋之助さん秀調さん以外は、新しいメンバーをお迎えすることも楽しみです。少し暗めの芝居が多い今回の初春歌舞伎。この「芋掘長者」で文句なく明るく楽しい正月気分を味わっていただければ幸いです。
◆「沼津」 荷持ち安兵衛
25年前に巡業で勤めて以来2度目です。そのときの平作は延若のおじさんでした。軽い役ですが、気のいい楽しい役です。今回自分の持ち役が「芋掘長者」「吉野山」と踊り二つになってしまったので、自分の方から申し出て出演することにいたしました。昨年の「封印切」につづいて、また山城屋さんと大阪弁にてやりとりをしなければいけないので、そのことだけが心配ですが、楽しみながら演じ、その楽しさがお客様の楽しさに繋がるようにしたいと思っております。
◆「吉野山」 佐藤忠信
納涼歌舞伎、襲名の名古屋、博多、巡業と演じて、今回5回目になります。今回も同じ演じ方ですが、かつらがより自分の顔に似合うよう、少し工夫を施しました。正月、そして大阪の舞台ということもあり、以前よりも丸本歌舞伎「義経千本桜」の一幕という厚み、大きさが出せるよう、大人の芸を感じていただけるように努力をいたすつもりです。幸い山城屋さんが静御前、橋之助さんが藤太に出てくださることもあり、3人そろった舞台が大きく見ごたえのある、歌舞伎らしい肉厚な感触を味わっていただけるようになれるとよいのですが・・・・・・。
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